近松
文楽二月公演、
二部と三部。
近松の世話物を二本続けて観た。
曾根崎心中は何度か見てると思う。
大経師昔暦(おさん茂兵衛)は初めてみた。

近松門左衛門。
現代でも人気で、文楽でも歌舞伎でもよく上演される。
この人の浄瑠璃を観るたびに、いつも思う。
ほんとに哀しくてやるせなくて、トホホなのだ。
なんて悲しいんだろう。救われないのだ。
絶望的なのです。いいかげんにしてほしいくらい
救われない。
これを一言で言うと不条理というのだろう。

そのかわり、この人はどんだけ変態かと思うくらい
死にかかわる場面は美しくて情緒があって、心中の場面なんて、もう
それまでのあらすじがどうでも関係ないくらい、ぞくぞくするような
浄瑠璃の美しい言葉で彩られ、義太夫の太棹三味線の
ゆっくりゆっくり重厚な音色と、そして
演技力表現力では人間以上かと思うほどの人形と
三者が一体となってこれ以上ないってくらい美しい究極の場面を作り上げる。


これら世話物浄瑠璃のだいたいが、実際当時世間を騒がせた
心中や殺しの事件をもとにして、
数年後とか何十年後かに書かれている。
良い人は救われない。悲惨な最期をとげる。
悪い人は平然と生き残って、終わる。
主役の男はイライラするほど弱っちくて情けなくて
ぜんぜん頼もしくなかったりする。
おさん茂兵衛なんて、お互い恋もしていない男女が
してもいない不義密通の罪に陥って、二人は追われ最後は捕えられる。
不義密通は磷の刑、間に入った本当は恋してた気の毒な女も討ち首。
その原因をつくった、悪いエロ主人はまったくなんにも咎められず、
なんの天罰もくだらない。意地の悪い使用人だって逃げていっておしまい。

勧善懲悪とはまったくかけはなれた世界。
良い人は救われて、努力は報われて、
悪い人には最後はつかまったり懲らしめられたりひどいめにあう、
なんて物語ではない。

こんなのあり?だ。

それなのに魅力的。
現代でも繰り返し上演されるほどの人気。

ふと思った。これらの物語は
現世だけで考えていると理解できないのだ。
すべては現世で決着がつくわけではない。
あの世のこと、カルマとか、そういった
いろんなことが渦巻く世界観。
昔の人は、ごく普通にそんなふうに
人間をとらえていたんだろう。

そしてこんなのあり?なこそが
この世の人間界の現実なのだ。

近松、やっぱり面白い。

e0197417_1532680.jpge0197417_15322976.jpg
[PR]
by koharu-ya | 2010-02-12 15:34 | 徒然 | Comments(0)
<< 二人会、トンチさん 小村雪岱展 >>